2/12に5回目を開催しました、5回連続の
これでベーシックから約1年間に渡っての講座も
いよいよ終わり。(まだワークは残ってますが。)
終わってみるとあっという間、ですよね。☺️
「感慨深い」と書いてくれてる方もいますが、
本当に。
願いが叶う!とか、思い通りになる!とか、
そういう派手なひきがあるわけでもない、
いわば地味〜な講座に😂
何かを感じ取ってくれた、センスある皆さま💓
ご一緒できて、わかち合えて、
私も幸せです✨
忙しい日々の中で、講座を聞いて、感想書いて、
ワークもやって、その気づきも書いて、、
というのは、大変だったとは思いますが、
ちょっと強制するくらいじゃないと
なかなかねぇ、
ここまで自分に寄り添いまくる💓って
できなかったりしますから。
本当の本当は、何よりも大切なこと✨
のはずなのにね。☺️
後回しにせず、やってみると、
やってみただけの気づきや腹落ちはあるもので、
ついつい無意識の自動反応で、
外側の出来事にフォーカスしがちな意識を
内側に向けるとはどういうことか、も
つかめてきたのではないかな、と思います✨
「なんて巧妙な仕組みなんだろう!」って
気づきを書いてくれた方もいますが、
巧妙な自我トラップを見抜くのって、
見抜き出すと、まさにゲームをしているようで
面白くなってきますよ。😂
一応、これでもねぇ、
ワークはちょっと控えめに出したつもりなんです。😅
「わかったつもり」で終わらないようにするには、
どういう体験があったらいいか。
そこを考えると、
本当はもっとやっていただきたいことはあった
といえばあった❣️のですが、、
あんまり一気にいっぱいつめこんでも、
消化しきれないので、ね、、止めておきました。
「こなすこと」に満足し始めちゃうと
またズレていきますし。😂
よくスピリチュアルな世界で言われているようなことも
実は結構誤解されたまま、
知った「つもり」になってたりすること、
ホント多いですから、、
ズレても、自分でそのズレに気づければ、
そのせいで余計に苦しむ必要はないわけで。
それって、体験から培われるセンス✨
でもあると思うのです。
知って終わり、ではなく
日常に生かして、日々、それを生きる、ってことこそが
醍醐味♪
とはいえ、一人だと、
ついすっかり忘れて、過去のクセに逆戻りしてしまったり、、
なーんてことも、人間、ありますから、
(それはそれで、別にいいのですが、😂)
月1でも、一期生とやってるフォローアップの方に
合流していただけたら、
「そうだった!」と軸を自分に戻すきっかけに
なるかと思います。
よかったら、どうぞ💓
ではでは、受講生の皆さんのご感想を
ここにもシェアさせていただきますね。☺️
(質問には講座のグループLINEの方でお答えします。)
受講生同士が読み合い、
そこからさらに気づいたり、より深められるように、
ということがメインの目的ですが、
受講生じゃなくても、
「わかる!」って共感ポイントがあったり、
そういう人の気づきを通して、
自分の悩みにヒントがもらえたりもするはず🌟
ですから、ぜひ、読んでみてくださいね。
「これまでの感想をまゆさんのブログにシェアしてもらっている事で
自分の感想が少し距離を置いた視点から読める感じがするので
また時間が経ったときにでも読み返してみたいと思います。 」
と書いてくれている方もいますが、
こういう感想ってね、
また数ヶ月、1年… と経ったタイミングで
読み返してみると、この講座に限らずですが、
過去の自分が今の自分にメッセージをくれたり、
するんです。☺️
私たちって、思ってる以上に
忘れていく生き物… ですから。😂
「こんなこと書いてたっけ〜?」って
なったり、
記憶では嫌な印象があって、
読み直したくないな、ってことでも
違うタイミングで読んでみたら、
また全然違う印象になったり、ね。
感情っていう強いフィルターがかかって受け取る時と
それが弱まってから受け取る時とでは
同じ文章でも全然違って響いたりするもの。☺️
今まで私のブログにシェアされたことのある方々は
実感するところではないかと思いますが、
それぞれのタイミングで、ぜひね、
読み返して、体感していただけたら、
それもまた、面白いと思いますよ❣️
こうやって感想を送るのもこれが最後になるのかと思うと
感慨深いです。
気づくとあっという間の1年でしたが、講義と感想と宿題とで
1ヶ月ごとに日々の生活の中に落とし込んで
深くゆっくり自分の中の生活や考え方の土台を揺さぶり、
気づきをもたらしジワジワと染み込んでいた感じがします。
始めた頃の自分とその頃学びたいと思った動機を振り返ってみると、
その頃は純粋な好奇心だと思っていましたが、それもありつつ
日々の生活の中で感じる無意識の焦燥感だったり
うまくいかない時の生き辛さから解放されたいという思いも
あったのだと思います。
だけど、講座で少しずつこの世の仕組みを学び、
日々の生活の中に落とし込んでいく中で、
自分の掟やフィルターに気づき、自分でも思っていなかった
無意識でしていることを自覚することで、
ガチガチな見方や考え方がゆるみ、自分に寄り添うことで
含んでいくことで、思考でなく体感として自然と受け入れ、
手放せたことがとても印象的で大きな体験でした。
瞑想の体験含め、まだまだ意識し始めたばかりなので
これからですが、日々の生活のドラマを楽しみつつ、
没頭して見失わず俯瞰して捉えられる余裕を持って暮らしていくのは
面白いだろうなと感じます。
これからの自分がどうしていくのか、
どのようになっていくかも楽しみです。
知識としてじゃなく体感として学べたのは、
まゆさんが経てきている方だからだと思います。
深い安心感と信頼感の中で学べる場を作っていただき
ありがとうございました❣️
そしてベーシックからの皆さんと一緒に学べ、
色々な見方や捉え方を得られたのも良かったです🥰
1年間ほんとうにありがとうございました🌸✨
今回が最後だなんて不思議な感じでした。
実感があまりありません。
瞑想についての感想やアドバイスを聞けてとても参考になりました。
過去の体験は追わない、は刺さりました。今回の瞑想の件だけでなく、
他の様々な体験でも無意識に比較していました。
自分にとってよかった体験だと、どうしてもまたその体験をしたい!、
と思ってしまいますし、それがいいと思っていました。
それも執着しているということなんですね。
その都度過去と比べずに新しい体験をする、
自分の中の掟はまだまだたくさんあります。
良いと思っていること自体、含んでいないってことなのを
忘れないようにしたいです。
座禅も瞑想も同じようなものなのかなー、と思っていたので、
その違いというか、瞑想のやり方を知れてよかったです。
引き続き誘導を聞きながら瞑想をしていきます。
S極N極の話も、今までの講座の話を思い出せば、
本当にその通り〜!、って思うんですけど、
やっぱり忘れてる時も多くて、日々意識して生きていくのは
なかなか難しいです。
好き嫌いだけではなく、全てがそうなんですよね。
また忘れたとしても、ちゃんと思い出していくようにします。
呼吸の話は、富士山を登った時にガイドの人に言われたことを
思い出しました。吸うことは自然にできるから、吐くことが大事、
と言われました。先に吐く方が必要な分だけ入ってくる。
呼吸だけでなく全てに関係してくるとは思いませんでした。
最後の最後まで、そうか〜なるほど〜、と思うお話が
たくさんありました。
音声データで今後も聞くことができるのは本当にありがたいです。
ベーシックからやってきた課題についても
時折思い出して振り返りたいです。
約1年間、本当にありがとうございました。
今回で最後の講座となりましたが、
最後の方は職場の人間関係について悩むことが多く、
学びを通して改めて自分を省みる機会となりました。
周囲の人は入れ替わるけど、
どこまでいってもその時々に出会う人は、
ただただ自分という人間を見せてくれているだけなんだな
と感じています。
渦中にいる時はあの人にこんなことをされた!とか、
すっかり個としての自分全開で生きていますが、
苦しくなった時に自分の反応を少し引いた視座から見てみたり、
自分の中の掟がないか探してみたり、
そういう対応もできることを知ったのは今までにないことでした。
宿題という名の下に学んだことが即実践できるのも、
知識を習得したというだけにとどまらず、
体験として落とし込めたのでよかったなと思います。
今回の講座ではピンポイントですが、
苦しい時ほど「私が」が出てくるという話に、
最近の自分の様子を重ね合わせて激しく共感してしまいました。
また自分だけ頑張って損しているような気分になってしまい、
「私ばっかり」と自己主張を始めていました。
そして心の中で同僚に対し、仕事を上手くサボってずるいと非難の嵐…。
それはもう、気づかないくらい自然に全自動で
この流れが発動するので意識していませんでしたが、
ふとなんで相手の行動にいつもフォーカスしているんだろう
と思いました。
なんで頑張った自分には目を向けていないんだろう、
当たり前のように仕事をこなして、頑張った自分には労いの言葉もない。
ねぇ、聞いてよ。あの人いつもズルいんだよ!
と誰かに言いたくなるのは、自分を正当化して
頑張ったねと褒めてもらいたいからかもしれない。
自分からはそういう言葉はかけてもらえないことを知っているから。
なんて巧妙な仕組みなんだろう!
素直じゃないなと思う反面、
欲しい反応が得られないとこうなるのか〜!という
目から鱗的な驚きがありました。
仕事をサボってもいい、と無理やり含める方向にもっていっても
そりゃ納得できないわけです。
「私が」と主張したくなるのは、
自分自身に認めてほしい気持ちがあるのに、
それを見過ごしているからでしょうか。
こんなことを考えていると、少し前にハリウッドスターが
自分の妻の容姿をジョークにされたからといって、
舞台上で司会者に平手打ちをくらわせた事件を思い出しました。
私は普段から心の中で、そのハリウッドスターのような反応を
繰り返していたかもしれません。
妻を侮辱された敵を討つと舞台へと向かった時、
彼の妻は1人取り残されていました。
この状況が意識が常に外へと向かって、
内側がおざなりになりがちな自分と重なってみえてしまったのです。
自分の感情に寄り添うということが、
やっと講座の最後の最後でつかめてきた気がします。
普段から「私が」が仕事上で出やすい私ですが、
バランスをとるために瞑想が役立ちそうな感じです。
同じような感覚を味わうために温泉もいいかもしれません。
もっと日常に近い感覚の中で例を挙げるなら、
トイレですべてを開放した瞬間を挙げている人がいて
面白いなと思いました。
言葉にすると至福の時というのでしょうか。
周囲に溶け込んで一体になっているような時間が心地いいな
と最近よく感じます。
あれが欲しい、これが欲しいと頭を巡らせて手に入れることも
楽しいですが、最近はお休みの日に天気であれば窓際で
Yogiboに座ってひなたぼっこをするのが私の楽しみであり、
小さなしあわせです。
これまで学んできた7つの定理はいろいろありましたが、
知識として覚えるのではなく体験としてとらえると、
自分の思っている範疇を越えすべて自分の人生や日々の生活に
関わっていることでした。
苦しくなると立ち返る拠としたいと思います。
約1年にわたりありがとうございました。
ベーシックから1年余り、
課題など大変だと思うこともありましたが、
受講していなければ気付けなかった事や、すっかり忘れていた事など、
たくさんの自分の中での発見があり、
本当に濃い時間を過ごさせていただきました。
日々のほんの些細なイライラや、
なんでこんな嫌な奴がいるんだ‼️みたいな事も、
全てにおいて講座が役に立ってくれると思います。
内容は、私にとっては難しい事もあるので、
内容を書き出したりまとめたりしながら
自分なりに深めていけたら良いなと思っています。
とは言うものの、私の場合、頭で理解しようとするのも
ハマってしまうところなので、考えすぎないように
ほどほどにしたいとも思います。
課題もまだ残っていて、まだやっていないのですが、
感想が終わったら名前をつけるところからやらなくちゃ
と思っているところです。
私の感情、私の肉体、私の思考
私=感情ではない。
私=肉体ではない。
私=思考ではない。
というお話を聞いて、確かに!!と思いました。
それを深めるための課題なのかな?と思ったら
ちょっと楽しみになってきました。
私の語りたがりの事ですが、私はどちらかというと、
聞き役が多かったし、話すより聞くほうが楽だし、それで良い
と思っていたのですが、心の奥ではもっと話したい!
聞きてもらいたい!と思っているんだろうと思えました。
それも、少しずつやっていこうと思います。
私には、スピリチュアルな話をできる友人が1人いるのですが、
その友人が5年くらいに前に乳がんになってしまいました。
何かできる事がないかと、私は本屋に行きました。
そこで見つけた2人の方が書いた本をプレゼントしました。
その1人が、多分まゆさん言っていた、Dr.○○だと思います。
本を読んだ後友人は何度かその人の治療を受けていて、
イベントなどにも参加していました。
私も誘われて一度行ったことあります。
結局普通に手術をしたりして、今友人は元気に暮らしています。
Dr.○○の施術?治療?を多分10回くらいは受けてたんじゃないかな?
結構な金額を毎回支払っていたと思います。
でも、そのうち行くのをやめてました。
もう1人は、ヒマラヤで厳しい修行したと言う方で、
瞑想を推奨している方の本でした。
友人はその人の瞑想会みたいのにも参加してましたが、
それはたぶん一度だったと思いますが、良かったと言ってました。
今思えば、私はどうにか友人が助かって欲しくて、
何かしてあげたくて、彼女もスピリチュアルが好きだし、
良かれと思ってやった事でしたが、
余計なことしてしまったかもしれないなと思いました。
忘れていたけど、まゆさんのお話を聞いて思い出しました。
他人にしてあげたいという思いは、
私からしたら良かれと思ってだけど、
本人が自分でどうにかする事が、本当だったのだろうと思います。
私も、その2人の本を読んではじめは良さそうだと思ってましたが、
途中から違和感を感じて、なんか違うなと思いました。
今回まゆさんが言っていた、特別なこの人がいて、特別な何かをする
みたいな事に違和感を感じたんだったと思い出しました。
私がきっかけを作ってしまって、お金を使わせてしまったので、
友人には申し訳ない事をしてしまって少し罪悪感を感じましたが、
それも彼女には必要な事だったのかもしれないし、
しょうがなかったと思う事にします。
今回の講座には関係ないですが、
少し前にゼニスの感想を書かれていた方がいましたが、(☞こちら)
あれを読んですごく腑に落ちました。
以前から、あまりにも悲惨な目に遭う人がいる事の意味がわからなくて、
なぜなんだろう?と思っていました。
コロナが始まった頃だったか?のまゆさんと恵子さんの
何かのzoomの講座の時にも質問して、
それを選んで生まれてきているから、の様な回答をもらい、
確かにそうなんだろうと思いつつ、
まだモヤモヤする部分も残っていた気がします。
そして、今回それがわかった様な気がしました。
宇宙全体にとっては必要な出来事なんですね。
3次元にいるのでそれを忘れてるけど、わかって生まれてきている
という事なのかなと思いました。
絶望と祝福ってとてもわかりやすかったです。
講座を受講したからこそ、わかった感覚なのかもしれません。
あと、講座を聞き直していて、
アイデンティティと自我という言葉は、
なんとなく知ってはいるけれど違いがよくわからなくなりました。
調べてみたけれど、いまいちわからなくて。
まゆさんに教えてもらいたい気もしますが、
それってわかる必要あるのでしょうか?
また知りたいが発動してるだけなのかな?
必要であればわかる時がくるので、
それを待っていれば良い様な気もしますが。
5回目の講座、ありがとうございました。
瞑想についてのシェアで
みなさんの感想や個々での向き合い方をみて
「私が見たかったのは"感じ方"という個性だ」と思いました。
個性、という部分を見るために
これまで色々な選択をしてきていたような、
そんな感じがしました。
「答えがある」と思うと、ゴールのような枠を設定してしまって
答えに辿り着けない自分の状態に苦しくなってしまうけど
今、その感じ方を味わえば良いんだ、それが在るべき姿なんだなぁと。
そういえば前回の宿題をやっているときに
「まだやってるの?もういいよ」と思ったことがありました。
それはベーシックの講座を受け始めた頃から向き合っていた出来事
なのですが
自分の中で納得のいく答えが出ている感じがしなくて
宿題ではここぞとばかりにそのことを持ち出して考えていました。
宿題以外でも答えを出そうとひっぱりだしては考え、
納得いかない!なんてことを
繰り返していたのですが、
ついに自分の中から「もういいよ(呆れ顔で)」という声がしました。
しっくりくる答えがあるはずだ、とずっと思っていたのですが
それは降りてこず
ただ、やり尽くした感というか。。
もしかしたらこれが答えだったのかもしれません。
“答え”などという明確な何かを求めていたけど
“答え”を作り上げすぎてしまっていたというか
本当はただこの感情を感じている、ということを
自分がわかっていれば良くて
わかって欲しくて感情に訴えていたのかなぁ、と今は思っています。
これまでの感想をまゆさんのブログにシェアしてもらっている事で
自分の感想が少し距離を置いた視点から読める感じがするので
また時間が経ったときにでも読み返してみたいと思います。
感情を揺さぶられるような出来事が起きたとしても
自分への向き合い方がなんとなく見えてきている今は
楽しみながら、これからも実験をしていきたいとおもいます。