【お知らせ】
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【リトリート】
リトリートは基本、リクエストをいただいてから、少人数で開催しています。リクエストは、場所や時期にもよりますが、宿などが取りづらいので、少なくとも開催の2ヶ月前、できれば3ヶ月前にはいただけると嬉しいです。大体の目安は☞こちら、大分&熊本♨️秘湯巡りリトリートの告知を参考にしてくださいね。
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【ゼニスオメガヒーリング・プラクティショナー養成講座】
2020年より『マスターティーチャーのみ』ZOOMでのオンライン授業が可能になりました。詳しくはこちら。テキストを事前に送る都合上、開催1週間前には受付終了とさせていただきます。2023年4月より対面授業も再開しますが、オンラインの方が人数は集まりやすいです。
5月中旬以降でレベル2授業、あと1名いらしたら開催します。日程調整しますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
レベル1〜5まで、ご希望に合わせて随時開催中です。他校からの生徒さんもどうぞ。お気軽にお問い合わせ下さい。授業内容について詳しくはこちら

2026/04/05

日々の感情から気づけること。3〜日々と宇宙の講座の宿題より


昨日も日帰りリトリートで桜や桃の花、菜の花を
いーっぱい見て来ましたが、
あちらもこちらもピンク🌸ピンク🌸
ウグイスも美しい歌声を響かせてくれてました。☺️


ピンクは、自己受容の色でもありますからねぇ。
ありのままの、自分を愛する🩷

そんな季節🌱



さて、
3/17に3回目を開催しました、5回連続の


3回目の講座の中で、毎回ひっかかる方の多い
「自由と責任」についてもお話ししたので、
今回はそれに関連した
ちょっとした練習をしていただきました。☺️


誰かに何かを言いたくなった時に、
『相手を責めるのではなく、自分で完結した言葉』
に変換してみるトレーニング🌟
 

ベクトルを、 相手ではなく自分に向け直すことで、
自分の本音やスルーしてた感情に
氣づけることもありますのでね。☺️


ただ、「自分に向ける」というと
=「自分のせいにする」
=「私が悪い」・・・って、
もはや『自動的に』勘違いして受け取ってしまう方も
多いんですよね。


「相手を責めないなら、自分を責めるってことだ」って
考えは『二極の思考』すぎます… が
私たちは長年、この二極思考が染み付いちゃってますのでね。

どっちも責めなくて、いいんです。


無意識にそう刷り込まれてしまっていると、
誰だって責められたくはないですから、
「やりたくない」って氣持ちになって当たり前。😅


8年前にこのご感想↓をブログにシェアした時も

皆さんから「私もそうでした!」って反響が大きくて
こちらも↓シェアしたくらいでしたので、

多くの方がその傾向が強いのではないかと思います。


そして、受講生も書いてくれてますが
お伝えしたように
これは何の感情?というところに思考を巡らせないこと
ここもとっても大事です🌟


また、感情を感じる前に
その原因や「どうして?」「どうやって?」「どうしたら?」に
つい思考を巡らせる人も多いかと思いますが、
深掘りする必要はありません。


情報量が多いのでどうしても混乱しやすいのですが、
いろいろ、すでにズレが生じまくっておりますので😅
受講生の皆さんにはLINEグループで
おいおい、またお伝えしていきますね。



今回も、受講生同士が読み合い、(過去の受講生含め)
そこからさらに氣づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてシェアさせていただきます。

受講生以外の方に読んでいただいても
ヒントがいっぱい隠れてる✨と思っておりますが、

受講生であってもズレやすいことをお伝えしているため、
あくまでも、ゆるーく読んでくださいね。




■全体として感じたこと、 思ったこと、気づいたこと、 

 ⇒「あなたがXXのくせにYYしてないせいで、
私はムカつく/イラついた」という 
正義の押し付けだったり、身の程知らずだ、不当だ、
ということに対する怒りが強いことに気づいた。 

それだけ自分自身のことも、「身の程を弁えるべき」と
強く縛っているんだろうなと思いました。




初めは、そんな短期間でに何もないってー穏やかなはず… 
と思っていましたが、残り1週間前から小さなイライラが笑 

モヤっとする、とか 
残念な気持ちになる、とかを 
あらためてさらに分解して 
怒っている、悲しい、傷つき、それ以外に
カテゴライズしていく感じにしました。 
都度、感情を感じてみるようにしました。 

そうやって過去のことを分解していくと、 
なんだかどんどん無気力になりました笑 

残しておいた感情には 
ある種の行動エネルギーになっている部分があって 
それらを分解していくことで、すんっとなってしまうというか 
あれー、じゃあ私今何やってるんだろう・・・ 
と、強めPMSのように無気力になって1週間全然家事をしなくなったり。 
(仕事はちゃんとやってます) 

そうしたら、夫が珍しくいつもはしないほど家事をしてくれるので 
それはそれでラッキーのような^^; 
何かが崩れる感じですね。
今現在、私これ大丈夫か!?ってなっています。 

ただ、仕事で外部からの過干渉が生じたときなどに 
前回の課題にも増して観察的というか、外から見ている感じというか 
感情が揺さぶられることがあまりなくて 
ちょっといい意味でぼーっとしている? 
明らかに相手にも瑕疵があるのに
理不尽ないちゃもんをつけられた時でも 
「全くもって私の落ち度でござんす!」の姿勢で謝り倒しているのに 
一切イライラもモヤモヤもしていなかったりとか。 

以前なら「そうは言っても私も悪かった」的な自責コメントで 
グラグラしていたところなんですけどね。 

ちょっと自分が透明になったような感覚があります。 

透明ついで?に 
AIに現状の問題点をぶつけまくる作業もしていました。 
そして色々なモヤモヤに一旦の解決策を見出し 
またこう、すんっとしました。 

無感情というほどではないんですけど、なんでしょうこの感じ。 
もうちょっと要観察な感じがします。




内側に向けた時に出てきた感情を眺めているうちに、
あー、またこんな風に感じてるとか少し嫌にな気分になってました。 
まさに、ノートでまゆさんが書いていた
自己否定になっていたんだと思います。 

少ししてから、そうじゃなくて、
そういう痛みがあることに気づいて寄り添って消化してあげるんだ。
という視点に立ち返りました。 

起きた出来事は違っても、そこにある感情は同じものが
何回も登場していることに気がつき、 
痛みが消化されていないから、何度も出てくるのだなあと、
自分の偏りがわかりやすかったです。 

どーしていつもこーなるんだと思考に走りそうになるけれど、
それよりも先に寄り添うというのを忘れずにやって行こう
とあらためて思いました。 

外側にぶつける、相手を責める方が一瞬楽で 
発散した感覚になるけど、すっきりするどころか摩擦を生んで
更にややこしいことになっていくし、
何より、自分の痛みに気づくことなく、
ずっと繰り返されていくことになるんですね。 

その出来事は自分の痛みに気づかせてくれている。 
ただ、起きている瞬間はそんなに余裕を持って
構えていられる自信はまだありませんが… 
ちょっと待てよ。と声をかけてくれる私が
これからはいるかもしれませんね。 

意識していないと、自動的に反応して
ただ外側に向いてしまいそうなので、
内側に向けてみることを意識したいと思います。 
そして、自己否定にも気をつけよう。




まず、今回の宿題ははじめすんなり取りかかれなかった。
一人暮らしで仕事も特に滞りないため、 日常の中では
さほど他人に対して強い感情を抱くことが少ない、というのが 
その大きな要因と思っていたけれど、 
それでもちゃんと向き合って意識してみると、 
束の間すれ違う他人に対してだって 
いちいち感じていることはあるよなと思った。 
わりと細かく感情は動いているのにアタマで無効化しているかも、と。 
ネガな感情を他者に対して出すことをしないのは言うまでもなく、 
そんなこと感じるのはよくないという思考が 
瞬時に働いていて、見てみなかったフリをさせている気がした。 
物分かりのいいフリをして 
本当は、コントロールしたがりの我の強い人間なんだなと思ったし、 
宿題に取り組みにくいと思ったのも、そもそも 
エゴが抵抗していたのもあるのかも、と思いました。 

過去のことについて取り組もうと思ってやってみると、 
こんなことがあったという認識はしていても、昔のこととして 
ちゃんと感情として向き合うようなことはしていなかったなと思った。 
単なる出来事としての処理で、感情面からみれば
たくさん無いことにしてきたのかと。 

それと、LINEで質問させていただいた 夢の話で
まゆさんからの回答を読んで、 常に働きがちな思考の反応の奥に、 
ちゃんと感情があるはずなのか、とも思いました。 
自分が何を考えて対処した方が良いか、 
どうしても思考に意識が向きがちだけれど 
その奥の感情までいちいち掬い取ってみたらぜんぜん違うのかも、と思う。 
その辺、思考で処理して
その先の感情までいかせない?パターンが染み付いているのと 
感情と思考の区別がごっちゃになりがちなので、 
もっと丁寧に奥に潜んでいる感情までみてあげる必要があるのだと思う。 
なかなか取り組めていませんが。。 

自分の感情を冷静に、客観的に捉えて 
自己と同一視しないこと。 
それ自体は思考でなんとなくできているような気はするが、 
それで感情に寄り添えて解消できている手ごたえがあるかというと 
正直、今はあんまりないなと感じていて、 
ダイレクトに、泣いたり怒りをぶつけたりする方が 
解消できるような気がしてしまっている。 
そのうち黒豹なのかグリズリーなのかわかりませんが 
何かどろっと出てくる時がくるのでしょうか。。




なぜかとてもやる気が起きない、
やりたくないという気持ちになっていた。 

「日々の中で誰かに何か言いたくなったら」ということだったが、
慌ただしくて言いたくなったことに対してアンテナをはりづらかった
というのもあるかもしれないが、
最近はあまり人に言いたいことがなくなっているのかもしれない
とも思っていた。 
元々分析に走りやすかったり、学んでいる所為もあるのか、
俯瞰視する癖がついてきているようにも思う。
そうなると、事態がやややこしくなっている気もする。
どこまで感情に寄り添いつづければよくて、
いつから俯瞰的な視点も持ってもいいのだろうか。 

もともと自分の感情を置き去りにして過ごしてきていたが、
まゆさんのセッションを受けて感情を見つめるようになっていくと
同時に人間心理も理解するようになっていき、
何かトラブルがあっても単純に自分の感情を見つめるだけでなく、
相手の背景や事情を見つめてしまうようになっている気がする。
だから、同僚に対して注意をする時も私の説明がわかりづらいのでは
と思うことも最近あった。

以前のように自分の感情を見つめず、相手の背景も探らず、
要点だけを機械的に質問していくという対応をしていた際には、
相手をいらだたせたり感情的にさせやすかったが、
最近は相手がそのような反応をすることはなくなった一方、
「こういう背景があるからこのように考えてこうしているんだろうけど、
~するように。~してくださいね。」というような注意となってしまい、
長文で要点が伝わってないのかもしれないとも思ってしまう。 

しかし、伝わってないのかもとがっかりというか、
ちょっと腹を立ててしまうのは実は「すみません」という言葉が聞けず
(非があるのだからそれを認めるべき)、非を認めさせたい
私の感情があるからなのかもしれないとも思った。 

今回のワークのような言い換えを普段からしていくと、
自分を責めているというか罪悪感を募らせていくようにも感じた。
今まで一方的に相手を責めれば良かったものを、
自責にしないといけなくなる(そんな感情を感じてしまっているのは
自分の所為)かんじがするからだ。
それゆえ、今回のワークをやりたくなかったのかもしれないし、
同僚にも罪悪感を抱かせたいという気持ちになったのかもとも思う。 

感情を抱くのは悪いことという意識もあるのかもしれない。
出てしまった感情を見つめるのは抵抗がなくなってきている気がするが、
思い通りの展開にいかなかったりモヤっとする出来事にあった時に、
自らすすんで自分の感情の芽を探しにいく(=感情を抱く)のは
抵抗があるのかもしれない。
それくらいなら見過ごしたら方がスムーズに過ごせるからだろう。
これ以上敏感になりすぎると生きていきにくい。
「問題なんて存在しない」という考え方も聞きかじってはいるが、
感情の芽にフォーカスして自ら探しに行く行為は
問題をつくりだしてしまっているのではないだろうかとも思ってしまう。 

あと、ワークをしていたら「あなたによって、私は醜い感情を抱きました
(具体的に何か大きな嫌なことをされたわけではなく、
まとめて言ってしまうと存在が目障り)」というのが出てきた。 
自分に醜い感情を抱かせる他人を嫌いになるし、
心地よかったり美しい感情を抱かせる他人を好きになるのだろう。 

痛みをケアするという点で
授業やワークを実施してくれているのだろうけれど、例えば
「あなたが助けてくれて、私は安心を感じています」など
良かった感情にもフォーカスしていきたい
(そちらも普段自ら取り扱っていないので感じにくくなっている)
とも思った。 
(あ!感情は感じ切ると消化されるという話だったが、
積極的に感じたい感情も消化されてしまうものなのだろうか?!)




今までも「感情と自分を切り離すということ」はやっていたのですが、 
今までと違っていたことが2つありまして、それは、 
・前回の講座で、私の「感情」、私の「思考」は私じゃない
 と知っていたこと
・これは何の感情?というところに思考を巡らせないこと 
ということです。 

この2つを知っているだけで、こんなに違う?
ってくらい俯瞰になれました。 
私の感情も私の思考も私ではないから、このもやもやも私じゃない。 
何物にも侵されないという
身体全体が包まれて守られている私という存在を感じ、 
本当に日常の些細なこと(なぜこんな行動を?とかなぜ返事wくれない?)
とかで切り離すと、 不思議とすぐにその不具合が解消されて
返事が来てたりするということも面白く。 
私が私であれば十分だから、周りで巻き起こってることは
なんかどうでもいいんだね...と改めて思えました。 

今までは、なぜ私はこう思うのか?を掘り下げて掘り下げて
思考を巡らせて、感情を感じる!にフォーカスしまくっていて、 
そのフェーズも必要だったと思うのですが、
これも手当てだったのかも!? 
そして、この「日々と宇宙の講座」も以前行われてた時から、
ずっと気になってたのですが、 私は思考し過ぎちゃうから、
講座を聞いたら余計に思考が強化されちゃう、私は感じたいんだ!
と、 だから今じゃないとスルーしていたのですが、
講座受けてみたら思考を切り離せたという、 
完全に自我に振り回された思考でいたことに今気づきまして、
にやにやしています笑 

1つ実験というか、どうなるかなーと思って、 
夫に思った事柄を「あなたに〇〇されて、私は悲しいと感じています」
とLINEで伝えてみました。 とてもシンプルなやりとりをし
(〇〇に至った理由を聞き)この件は静かに完了しました。 
今までなら、夫に感情をぶちまけ、土俵に引きずり込み、
怒りと悲しみの嵐の中にいて、 そんな過去を思うと、
今は嵐なんて起こってない、何もない広い空間にぽーんと出てきたな
と感慨深く思いました。 

そして、先日LINEでやりとりした承認欲求に繋がります。 
今までもそれぞれのフェーズで
様々な人を通して見せられてきた承認欲求は、 
今のフェーズでは随分と軽くなり、でもまだたまに見せられている、
のですが、 ここに来て、とにかくエゴだねぇ...としみじみと感じました。
 
人の役に立ちたいという一見純粋な思いからくる行動も、 
人に認めて欲しいという欲求からくるもので、
これはキリがなくない?と思ったのです。 

講座で何回も「含んでいく」と聞いて、
そういうものなのかぁと思っていたことが、 
あ、ここが「含んでいく」なのかも、と繋がったような気がしました。 

自我が作り出すルールや枠に捉われてドラマを起こそうとする、
まさに世界の縮図のようで、 なんて考えていると
「手を放す、軽くなる、満ちてゆく」が流れてきました。 
自己実現のフェーズを楽しみたいです。





【第一期・二期の受講生がまたワークをし直しての氣づき】
*また届いたら追加します

こんばんは! 
ワークの感想をシェアします。 

ほぼ100%といって良いほど、夫との摩擦から
「言いたくなる」ことばかりでした。 
前半の1週間は10個近くありましたが、後半は1,2個でした。 
「思うようにいかない」「コントロールしたい」「権利を主張したい」。 
夫はそんなふうに思う相手になっていて、自分にベクトルを向けてみると、
「私はこんなに夫をどうこうしたくてストレス感じているんだな」
と改めて実感しました。 

ちなみに、前回のワークの時はどんなことを書いていたのだろう
と読み返してみたのですが、同じように夫へのことを猛烈に書いていて、
行き着いた思いもほぼ一緒でした(笑)。 
「前回と全く同じだ」と思いつつも、感情の激しさは
かなりマイルドになっているのでそこはよかったかな?と。 

ワークとはあまり関係なくなってしまうのですが、
最近は憂鬱まではいかないけれど毎日気分が重めで、
でも静かな状態が続いています。 
以前ならその状態を「なんとかしたい」と無意識に抵抗をしていた
と思いますが、今はその状態に巻き込まれずに
「静かに一緒に過ごす」という感覚でいます。 
年をとったということかもしれませんが、
この変化はうれしいことかなと思いました。 

また、仕事の場でも少しずつ「いい人と思われなくてもいい」
と思えるようになってきました。 
評価されたい気持ちがなくなったわけではありませんが、
「他人から見る自分は、それが自分の本意ではなくても、
あくまでその人のフィルター越しの真実に過ぎない」と
受け入れられるようになってきました。 

先日「心境の変化があった」とお伝えした件についてですが、 
日常のちょっとした出来事で、おそらく無意識レベルで
「譲ったら負けとか損する」という感覚で自動反応していたことが、
「譲ったところで結果は変わらないし、譲ったほうが全然楽だな」
という心境にふとなりました。ふっと力が急に抜けた感じでした。
ちょっと大げさですが、私の中では大きな変化でした。 

あとは以前の講座のワーク中に駅で感じたことと
同じ気づきになりますが、通勤時に信号につかまりたくなくて
せかせかしてもしなくても、ほぼ誤差がなく同時間に会社に着きます。 
それなら、ゆったりとした気持ちで向かうことを選択したい。
(会社が移転して信号や歩く時間がかなり多くなったので、
改めて実感する日々です。) 

何年もかけて同じテーマを行ったり来たりしていたとしても、
窮屈に苦しくなりがちなところを、都度都度「しつこく」
その一瞬だけでも緩め続けていけば(緩められなくても)、
それだけでよいのかなと。 
今回の心境の変化が起こったことによって思えるようになりました。 

まとまりない内容になってしまいました。。 
次は4回目の講座ですね。 
あっという間ですね。 
いつもありがとうございます。 
ではでは! 


 💫


相手にイラッとしたときは、間違いなく
自分が被害者に成り下がって
相手に何かされたから
自分は嫌な気持ちになっていると感じているんだな
と思いました。 
宿題で誰かに何か言いたくなった言葉を書き留めましたが、
日常ではこの言葉すら相手に伝えることをせず
態度で表していることが多いなと反省。 
私がイライラしている理由を察してよ!みたいな。 
自己完結した言葉での言い換えは、自分の気持ちを相手に伝える上で
とても素直で正直だけど大人な感じがしました。 
以前にも同じ宿題をしているので知っているのに、
こんなにも使用頻度が高いことなのに
日常に取り入れることを忘れてるわーとまたまた反省。 

自己完結した言葉に変換する際に、相手にぶつけようとしていた感情を
自分の言葉でこれだと思う表現ができると、
すごくすっきりすることに気が付きました。
本当はこう言いたかったんだねということが分かると、
自分がいじらしいような気持ちになったり深い納得感があったり。 

相手に何か言いたくなった時は
自己で完結した言葉に変換することでその気持ちが収まるかな
と思いましたが、
相手に伝えるかどうかはまた別ものだなと感じました。
ただ伝える場合にはとてもマイルドな言葉に変換できそうです。





【日々と宇宙の講座ベーシック第三期生の皆さんのシェア】




【日々と宇宙の講座ベーシック第一期生の皆さんのシェア】














【日々と宇宙の講座アドバンス第二期】







【日々と宇宙の講座フォローアップなどのご感想】











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