こちら甲州は、梅の花も散り始め(写真は2月の梅)
今はスモモの花が満開になりだしております🌸
順調にいけばこの後、桜に続いて桃の花、と
4月頭には桃源郷の美しい季節になりそうです✨
皆さん、ぜひ来て見て
植物たちからの無償の愛、受け取ってくださいね💓
(新宿から特急でたったの80分ですから〜)
さて、「日々と宇宙の講座」が始まると
もうその最中は、LINEグループのノートに
「これ、ブログ何本分になるかしら?」っていうくらい
たくさんの文章を書くことになるので、、
どうしてもブログは止まりがち。。😅
しばらくはシェアか告知中心のブログになるかも、と思いますが
何卒ご了承ください。
皆さんに、2回目の宿題を出しました。
1回目に出した
『ご自分の中の日々の分離』に氣づいていただくための
宿題をベースに、そこから今度はどんな枠を作り、
日々、その枠内でどんなドラマが演じられているのか、
それに氣づいていただくためのワーク。
現代社会で暮らしていると特に
枠と無縁で生きる というのはまず無理なわけで。
ここで人間として生きるということ自体
すでに肉体、個という枠があって成り立っているので、
(この講座では、そこも疑っていただく流れに入りますが☺️)
枠を別に否定する必要はなく、
枠自体に良いも悪いもありません。
ただ、そこに葛藤が生まれていた場合、
その大元にある枠に氣づいて手放す、という選択もある
と知っておくといいんじゃないかな、とは思うのです。
日々、ほとんどのことは自動反応で
過ぎ去っていきますから、、
意識的に自分の心の働きを眺めて、
そのさまざまな枠を選択しているのは自分なのだ、
と知っておくと
「⭕️⭕️のせい」と、外側のせいにして
わざわざ自分のパワーを
他に明け渡す必要もなくなりますからね。
また、受講生の皆さんの氣づきを、
ここにもシェアさせていただきます。
やっぱりいつもね、
美しいなぁ✨ と思いますねぇ。
皆さん、日々 DO, DO, DO で忙しいから、
自分のことを真摯に見てあげるって
ちゃんと時間を作ろうとしないと、なかなかできませんからね。
受講生同士が読み合い、(過去の受講生も含め)
そこからさらに氣づいたり、より深められるように、
ということをメインの目的としてますので、
もちろん受講生以外の方には「?」な部分もあると思います。
それでも、読むことになった方には(笑)
もれなくきっとそこに
ヒントとなる何か、があると思いますよ〜。☺️
受講生の皆さまには、この後また
LINEグループのノートにいろいろ書いていきますね。
一つのことに対していくつもの枠が絡み合ってたりすることもあるし、
でも、そうやって分析していくこともありだなと思いました。
分析で終わらせるのではなく。
そんな中で出てきた枠は同じようなものがいくつもありました。
自分の傾向が表れていると思いました。
冷静に見てみると、枠の中には自分の都合のいい枠の捉え方、
自分の考えに偏っていることに気がつきました。
その偏った枠に自分目線であてはまらないもの、人、出来事と
戦っているように見えます。
時には相手が自分の決めた枠に入って動いていないことへの
苛立ちもあったりする。
相手が同じ土俵にいないのに、ひとりで空回って、
勝手に傷つくこともあったのではないか⁈
そんなことに神経すり減らしていたとしたら、そりゃ疲れるわと。
真っ只中にいると気がつかずにどっぷりドラマに入り込むなぁと。
人は皆、同じものをそれぞれ違うようにみているというのがわかると
共通の枠に思えるものもそれぞれ違うように見えて当然ですよね。
自分の中で引っ掛かりがあった事のルールや枠は、自分基準なのに
相手にもそのまま適用を強いていたのかもしれない。
枠を手放すかどうかをやってみて、
手放すと軽くなるものもあった。
まだ、自分の中で消化しきれずに手放せないこともある。
その引っ掛かりが何か、引き続き見ていきたいと思います。
枠って、結果自分を苦しめてしまっているものでもあり、
時には必要なものでもあると感じました。
その時の自分に必要なのか、もう手放していいものなのか判断する、
できるということが、今まではあまり考えたことがなかったです。
次回の講座も楽しみにしています。
2回目の宿題をやってみた気づきを送ります。
まず、宿題としては
1回目の宿題で見つけた分離についての
枠とドラマの考察ということでしたが、
日々の中でマイルールの気づきに慣れてくると
1回目の時はスルーしていたようなことも浮かびあがってきて、
結果、新たな分離も加えて考察する形になりました。
結局前回はごく表面的な分離しか気づけていなかった、というか
痛みの少ない目の向けられるレベルでしかやっていなかったんだなと。
まだ分離という概念がはっきり理解しきれていないせいか、
マイルールは日常の中での具体的な事象に対して、
枠は共通認識みたいな概念という違いがあるのかなと思いますが、
やっている中では重複したりごっちゃになるところも多くて
少し混乱しました。
結果的に、新たに発見したものも含めて
枠はおおまかにいくつかに分類された形になり、関連性もあったりして
眺めると自分の傾向みたいなものを突きつけられる感じで
興味深かったです。
うすうす感じていたことをはっきり明言される感じ。
途中でLINEでも質問させていただいたりしましたが、
改めて自分は感情を思考でコントロールするべき、
その方が人として正しくエライ、感情は怖くて悪いもの、
という意識が強くあるんだなと。
それがいろいろなマイルールに波及していると思いました。
そうなった理由にはおそらく幼い頃の経験が強くあって、
そのルールを採用することで自分は生き延びてきたのだ、とも。
当時は当然のようにそうしていましたがよくやったなぁと思います。
感情にまつわるもの以外にも枠があったので、
それを手放します、と宣言してみたのですが
感情に関わるものばかりYes、で、やはりこちらの方が
手放しの優先順位が高そうでした。
感情を感じる、ということを意識的にやってみようと思ったせいか
この期間の間でも、
突然感情が溢れて涙が出るということが2、3回起き、
何の涙かアタマで深く探らずただ涙する、ということをしてみて
それはなんかよかったです。
まだおそらくほんの序の口と思いますが、こうやっていけばいいのかな
という軽い糸口みたいな感じがしています。
(と書いていたら涙が出てきました。。。しばし泣。)
ありがとうございました。
引き続きよろしくお願いいたします。
こんにちは、ワークをやってみました。
面白かったのは、持ち続けますと宣言した途端に
皮膚が痒くなったことです笑
他人に時間を無駄にされることが嫌で、
反対のワークをしてみましたがどうにも「いやじゃー」と思われ
時間を無駄にされることは嫌だと思い続けます!と宣言したら
痒くなりました笑
この1件以外は割とすんなり手放せた?のか?
また時間の経過とともに変わることもあるかもしれませんが
このワークをしていると
色々な事象に対して優しくなるというか
穏やかに色々な事象を見つめられる
→自分が穏やかになる
→→周りも穏やかになる
の流れに気づきます。
例えば、真似をされることにイライラして
「ありえんでしょうが!それで何があんたの身になるって言うのさ」
と思っていたところ、
今は「ふーん。あなたはそれでやるんですねー
(それやると、その次が大変だぞ、頑張れよw)」
ぐらいのスタンスで居られたりとか。
あとは 不謹慎かもしれませんが
ワークをしている最中に新しい戦争が始まったことは
ある意味ドラマチックで
思い込みの行き着くところを見せつけられたなと思います。
双方のコメントの思い込みにいちいち気づいてしまいますよね。
この国はこうでなければならないと思っていて
一方の国はこうでなければならないと思っていて
同じ人間でも、自由とか安全とかの基準が違うんだなと。
美味しいものや可愛いものに幸せを感じるのは同じでしょうに。
そこからの分岐ポイントは何なのか。
ワークをやっての気づきです。
■今回出てきた枠は、善の追求(要は正義感)に関するものが多かった。
それによって夫に対して憤っていて自分の日常に怒りを増やしている。
ただ、手放したいかというと、人として大事なことだと思うので
手放しは選ばなかった。
多くは子供のころ読んだ童話や昔話の教訓からだし、
もう骨身に沁みついていそうというのもある。
ただ、「自分は恵まれているのだからそれにふさわしい義務を負うべき。
研鑽を重ねて世の中のあるべき姿を考えるべき。」みたいな
恵まれているゆえの責任感と同時に
劣等感や無価値観といった矛盾した思いを背負っているのは
自分をいじめすぎだと思うので、
やっぱりこれからも手放し、緩めることはやっていきたいです。
自己防衛的に発生したと思われる枠が多かった。
そして育ってきた環境だったり教育が大きく影響していると感じた。
両親や学校の先生に言われてきたことやポリシーや教訓が
反映されていると思われる。
そう思うと、それらの枠について選択せずに当然だと採用してきたのだ
と実感がわいてきた。
それらの枠の中で自分自身が行動していけば、
他者から非難されづらかったり失敗しにくかったりすることで
自分を守ってきたのだろう。
それを知った今、既存の枠から出たところで行動をしていくことを
することは出来るのだろうけど、自分を守りにくくなるから
こわかったりして勇気が伴う気がした。
それも含めて選択していくということなのだろう。
あまり時間が取れなかったので、
選択に関しては今後じっくりやっていこうと思う。
今回のワークに関して物理的に時間が取りにくく、
やる気としても前回のワークより少なかった。
枠をどのように表現すればいいのかに対して
ぼんやりとしていたこともあるが、
きっと新鮮味や刺激が私にとって少なかっただろう。
日々の自分のクセに敏感になって気づいたら書き出す
というのは自分を知っていく行為が目に見えて増えるが、
今回のワークはそのような刺激性がなく、
いつも自然とやっているような背景まで捉えることは
前回の時点である程度実施していたので、
のれんに腕押し的な感覚というか刺激が足りなかった。
しかし、この講座を受けてから
自分がいかに刺激を好んできたのかということはよく見えてきている。
また、この世のシステムもいかにドラマチックのものが多いかも感じる。
今回はワークをしながらしみじみと、
枠があるから分離をするんだなということ、
とにかく外を向いていて外の世界への枠に捉われて生きてること、
を何度もあらゆる方向から気づかされました。
私は皆さんの役に立つ人間ですから、私のことをわかって!という叫び。
近くにいる人だけじゃなくて、電車ですれ違う人にすら、
わかって欲しいみたいです。
そりゃ、"リトルわたし"は、拗ねちゃうよね。
と思いました。
先日とある占い動画を見ていたら、今年の私の星座のテーマは、
「孤独・孤立を恐れるな。道は必ず開ける。」でした。
面白くなかったら、笑わなくていいんですよ。と言われてハッとしました。
皆さんの役に立ちたいので、人の求めるであろう反応をすることは
私の絶対使命!なんです。
今回のワークをしたら、ここの言葉に改めて繋がりました。
”リトルわたし”をもっと感じていきたいです。
もうひとつ。
温泉リトリートの後にまゆさんとLINEをしていて出てきた、
自分が攻撃をされるかもしれないという恐れについて、まゆさんから、
「人と関わることは相手の感情がこちらに向けられる可能性を含むけど、
自分に同じ痛みがなければ怖がることはない、跳ね返せる」と聞いて、
その時はとても安心したのですが、
今回、別の痛みでこの言葉を思い出し、
とんでもなく暗くて怖い気持ちになりました。
とにかく感情を味わいましたが、この暗くて怖いはとても深くて、
全然消化しきれなくて、そして、なぜ暗くて怖いかはわからないですが、
でも最後は「自分に同じ痛みがなければ怖がることはない、跳ね返せる」
という言葉が、
安心できる光みたいでした。
そしたら、また、どこかからか出てきた言葉です。
感じてくれてありがとう。
枠なんて最初からなかったのに、
枠があると思い込んで自分を閉じ込めていた。
ほんとはいつでもどこへでも行ける。心も体も自由。
ってことに気づいていなかっただけ。
どうしても社会とか身体とかの制約があるけど、心は常に自由。
出てくのは怖いかもだけど、出ちゃえばいいよ。
そこに分離もジャッジもない。枠は、ない。
怖いから、枠があるって思い込んでるだけかもよ。
ワンネスですね。
来週もよろしくお願いします。
【第一期・二期の受講生がまたワークをやってみての氣づき】
*また届いたら追加します
「枠を手放す」と宣言する時は胸が軽くなるような感覚になりました。
1つだけ手放したくないような枠があったので
「持ち続けます。」と宣言してみましたが、
ぎゅっとなる感覚があり「重いな」と思いました。
枠を持つ=重くなるのかなと感じました。
その手放したくない枠には痛みが伴っているようなので
消化したいなと思います。
あと、ある枠のルールに自分が触れれば自分を責めますが、
相手が触れた時は相手を責める。
手放いしたい枠ばかりでしたが、その枠自体には良い悪いはない。
「枠をどうこうしたい」ではなく、気づいた時に選択をすればよいと
今回はそのまま素直に考えることができたようです。
以前はそれができなかったと思っているので今回は気持ちが楽ですね。
あとちょっと面白さのようなものを感じていて、
今も枠の選択を意識しながら生活していますが、 だんだん
ひっかかりのある自動反応に気づけるようになってきたのでは?
と思っています。
他の人に対しても同じように自動反応しているだけなんだな
と思えるようになり、
以前はもやっとしていたところを受け入れることができますね。
反応して感情消化し「枠を選択するかしないか」とするだけで
観察的になり、
思考や感情に振り回されることが
さらに減るのかなと思います。
夫婦間でもお互いに色々反応しまくっていましたが、
枠の選択を意識することで、冷静になることが増えました。
(最近こちら側のコントロールや自分の価値観のおしつけが、
無意識に強く働いていました。。。)
あと、最後に今回のワークとはちょっと話がずれてしまいますが、、
シェアさせてください。
昨日友人とLINEであるやりとりをしていたのですが
「自分が正しい」と「ジャッジ」で
脳が祭り状態になっていた瞬間がありました。
「自分正しい」ってとても気持ちよいーーーーー
という脳の状態になるんですね。
改めて気づいたというか、その状態に居合わせたような感じ。
気持ちよすぎて今回気づきましたが、
地味に気持ち良いと気づかないですね。。。
脳がちょっと怖い感じでしたー。
また次回の講座聴きなおしたら感想送りますね!
いつもありがとうございます。ではでは!
💫
私は今講座を復習していますが、正直なところ
よく分かっていないことが改めて分かりました。
講座の内容はまゆさんの説明でとても分かりやすいのですが、
ワークになると「?」状態。
学んだことを自分の生活に反映させるということになると
一転、分かりたい、正解を求める、人との比較が出てきます。
ドラマが展開する枠がどういう内容なのか一応書き出すものの、
その解釈で合っているのか気になって前に進めない・・・。
期限も迫っているのに気持ちだけが焦ってやる気が出ない。
それでもワークに取り組む中で感じたのは、
よく分からないけれど枠をたくさん持っているんだな、
そしてその枠から派生した枠もいろいろありそうだな、
きっとよりよい人生にしようとして学んできたことが
枠になっているんだろうけど、枠をたくさん持っていると
ドラマチックになりすぎて疲れてしまいそうだなということです。
自分の枠を眺めていると、人目を気にして窮屈そうに生きている、
頭の中でいろいろと考えて頭を使いすぎているという印象がありました。
枠をこれからも選択するのか、手放すのかというワークでは、
無意識に枠をたくさん持っていてはいけない、
手放す方がなんとなくよさそうと思い込んでいることに気付きました。
枠の内容や枠がたくさんあることが
うっかりすると自己否定の材料になりそうで、
また違うドラマが展開しそうになりました。
【日々と宇宙の講座ベーシック第三期生の皆さんのシェア】
